「人生は戦いだ」

「人生は戦いだ」(Leben ist Kampf!)という言葉があります。「男には7人の敵がいる」という言もあります。人生を生きるとは戦いの連続というわけです。これは真実です。

「人生は戦いだ」と言う場合、問題になるのは誰の誰に対する戦いなのか、戦いにはどういう種類があるのか、ということですが、実は三つあります。このことを強く意識していたのはフランスの文豪・ビクトル・ユーゴーでした。ユーゴーは、人と人の戦いとして『1793年』を、人と自然との戦いとして、『地上の苦闘者』を、人と人の戦いとして、『レ・ミゼラブル』を、書いたのでした。

ここからはユーゴーとは離れて話することにします。「人生は戦いだ」ですぐ浮かぶのは人と人の戦いです。ここで、人は何も武器をもって人と戦うわけではありません。会社や組織では、人による評価によって、給料が決まりますし、地位が上がるとか上がらないとかが決まります。よい給料とか高い地位を目指すのであれば、よい点をもらわなければならず、そのための競争となります。これが戦いという意味です。これは社会全体的な意味の戦いです。

戦いには特定の人との戦いがあります。ここでも武器をもって戦うとか、力づくのけんかを、言うのではありません。ある二者間での言葉での言い合いはありえます。一番分かりやすいのは、ある組織の中で、ある組織の行動を決める場合の主導権争いです。自分の方針で行くことになるのか、競争相手(ライバル)の方針で行くことになるのか、当人は意識していない場合もあるでしょうが、これは個々人レヴェルでの争いです。

そういう戦いをしない生き方もあります。争いは何ごとにつけよくない、自分はそういう生き方をしない、という人もいます。しかし、どのような人にとっても、これだけは譲れない、という自己のプリンシプルというものがあるはずですから、それに抵触したと感ずるときは「立つ」べきです。世に名をなした人の多くはこのようなプリンシプルを貫いた人でした。

「人生は戦いだ」という場合、もう一つは自然との戦いです。この場合は人類全体と自然との戦いの側面が強いのですが、特にヨーロッパにおいて顕著でした。人間が宇宙の主人公で、自然を飼い慣らして、人間が住むのによい環境に変えようというものでした。日本では、自然と持ちつ持たれつの態度でしたので、自然との戦いの側面は薄いものでした。現在では、全地球的に気候温暖化の問題が横たわっています。

自然との戦いの場合でも、個人が自然と戦う場面もあります。台風や地震、津波に遭う場合がそうです。昔は干ばつや飢饉といった問題もありました。いずれも、そういった自然災害から、どうやって個人的に対応し、日常に復するか、日々の格闘が続きます。

最後にもう一つの戦いがあります。それが一個人の心の中の戦いです。これは自我に目覚めた人にしか起こらない現象ですが、あるべき自我と現実の自我の対立があり、現実の自我があるべき自我になるべく、苦闘すること(これが教養ということ)、それこそが心の中の戦いです。これがあるからこそ人間は成長するのです。このことに心開かれた人はほとんどいません。

このことを重視したのは自我実現説、人格実現説を説く理想主義哲学です。これを説く学説はまずはドイツで興ったことから、冒頭の「人生は戦いだ」はドイツ語だったのです。英語ではこれに該当する言葉はないようです。哲学者名で言えば、ドイツではカント、新カント学派がそうであり、イギリスではT・H・グリーン、ブラッドレー、ボザンケらの理想主義者です。

この心の中での戦いを教養として捉え、教養主義として打ち出したのは阿部次郎、河合栄治郎でした。その思想を現す著作としては、それぞれ『三太郎の日記』『学生に与う』が有名です。この教養主義は戦後、マルクス主義や現実主義や科学第一主義に押されて、長らく低調でしたが、河合栄治郎没後75周年の本年、改めて考えてみるべきではないでしょうか。「人生は戦いだ」は本当です。(2019年1月)

◎日本の教養主義の参考文献としては、次がありますので、参照願います。
渡辺かよ子『近現代日本の教養論――1930年代を中心に』行路社、1997年
行安茂編『イギリス理想主義の展開と河合栄治郎』世界思想社、2014年
◎教養主義について、このブログ内で書いた拙論としては、次がありますので、参照願います。
「奇妙な教養主義論争について」(2014年8月掲載、「私の主張」内)
「教養を高めて欧米人と対等に渡り合おう」(2017年5月掲載、カテゴリーは知的生活論)
◎阿部次郎の参考文献としては、次がありますので、参照願います。
竹内洋『教養派知識人の運命――阿部次郎とその時代』筑摩選書、2018年
◎河合栄治郎の参考文献としては、次がありますので、参照願います。
松井慎一郎『河合栄治郎――戦闘的自由主義者の真実』中公新書、2009年
青木育志『河合栄治郎の社会思想――マルクス主義とファシズムを超えて』春風社、2011年
青木育志『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年
◎河合栄治郎について、このブログ内で書いた拙論としては、次がありますので、参照願います。
「近代日本最高の思想家は河合栄治郎である」(2014年7月掲載、「私の主張」内)
「昭和の思想家・河合栄治郎」(2016年4月掲載、カテゴリーは哲学・宗教論)
「河合栄治郎とともに30年」(2014年2月掲載、カテゴリーは哲学・宗教論)

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カテゴリー: 人生・人間論

西洋の世界制覇終焉と日本

来年はマゼラン(マガリャエンス)が世界周航に出発したときから500年に当たります。大航海時代と西洋文明による地球支配の始まりです。大航海時代そのものは15世紀末から始まっていましたが、植民地化を伴う他文明への侵略、支配は16世紀前半からとすべきでしょう。西洋文明による地球支配は20世紀後半には終了しましたが、日本もその打破に大いに貢献しました。来年はそのことを考察すべき意義ある年です。

私は文明法則史学の信奉者ではありませんが、西洋文明の世界制覇の終了時期については、驚くほど似ています。文明法則史学とは歴史学者の村山節によって唱えられ、東西の文明は800年を周期に盛衰を繰り返し、紀元1200年を境に西洋文明が隆盛となり、2000年を境に衰亡に転じ、その間東洋文明は衰退にある、とされています。文明法則史学とは、西洋文明の終わりについては一緒ですが、始まりについて、違いがあります。

2000年を境に、西洋文明が衰退に転じる、という目安、契機の一つは1990年前後のソ連式社会主義の崩壊、アメリカ式生産方式の衰退(日米経済戦争でのアメリカの敗退)、2008年のリーマン・ショックなどであります。しかし、その発端は第二次世界大戦直後からのアジア、アフリカ諸国の独立であったことは確かです。そこから半世紀かけて衰退へと傾いていったのです。

そのアジア、アフリカ諸国の独立は第二次世界大戦の終了と大きく関わっている、ことは誰しも認めるところでしょう。第二次大戦がヨーロッパだけで行われたとすれば、これほどにはならなかったでしょう。ここに同大戦における日本の果たした役割が浮かび上がるのです。日本が占領した地域から独立していって、それが全世界に波及した、と言ってもよいでしょう。同大戦は日本にとって、基本的に自存自衛のための戦いですが、西洋の人種差別と覇権を粉砕することも目的としていました。

日本は大戦で破れはしたものの、西洋人の世界支配に挑戦し、東洋人でも西洋人に太刀打ちできることを証明しましたし、東洋人に自信を与え、大いに鼓舞したのです。その端緒は日露戦争勝利ですが、そのまた端緒は明治維新にある、と言わざるをえません。

西洋文明は「常時戦争型文明」「弱肉強食型文明」であり、他文明、他国に対して攻撃的であり、それに対して日本文明は「常時平和型文明」「親和融和型文明」であり、文明内、自国内で平和に生活するのを常としています。その「常時平和型文明」「親和融和型文明」が外国の脅威、特に西洋文明の脅威にさらされば、そのままでは一溜まりもないわけで、生き残るには一時的に「常時戦争型文明」「弱肉強食型文明」になるしかないのであります。

日本の歴史上をそれを迫られたのは二度ありました。一つは明治維新であり、もう一つは安土桃山時代の南蛮人の渡来でした。今まで前者に触れてきましたので、後者の方の考察してみましょう。

秀吉の朝鮮出兵やキリスト教の禁止は、西洋文明が「常時戦争型文明」「弱肉強食型文明」と分かった結果への、一つの対処法であったのです。銃や征服には銃や征服をもって対抗する、という姿勢を見せたわけです。このことは秀吉とスペイン国王との手紙のやりとりで確認できます。

秀吉を英雄とするには躊躇する人が多いでしょうが、それには朝鮮に攻め入ったことがあり、対韓国、北朝鮮上、後ろめたいと思うからでしょう。が、カエサルにしろ、チンギスカンにしろ、ルイ14世にしろ、ナポレオンにしろ、華々しい英雄という人はすべて他国への侵略者です。彼等が良くて、秀吉は悪いという理由は通りません。彼等が英雄ならば、秀吉も英雄です。もっと言えば、「常時戦争型文明」「弱肉強食型文明」の英雄とは他国、他文明への侵略者なのです。

秀吉に比べて、家康は規模が小さい。秀吉と家康の関係はカエサルとアウグストゥスの関係です。カエサルとアウグストゥスとでは、カエサルは英雄ですが、アウグストゥスは小物です。秀吉が示した、西洋文明には西洋文明的手法で対応したこと、が西洋諸国をして日本を植民地にしようなどとは夢にも思わなくさせたのでした。極論すれば、日本が植民地にならなかったのは、秀吉のおかげなのです。

さらには短期間で銃を製造する技術力の高さや文明力の高さがあるでしょう。戦国時代末期から江戸時代初期まで多くの西洋人が来ましたが、総じて日本人の能力の高さと善良な性格に目を見張っています。そうした報告や著作を残しています。秀吉の政策がハードな対抗策であるのに対して、これはソフトな対抗策になったのです。

世の多くの人は、西洋諸国が日本を植民地にできなかったのは、日本が鎖国をしていたからだ、と思っているかもしれません。上記で見たとおり、これは本末転倒的な考えであって、むしろ日本人の海外雄飛を妨げた害の方が多かったでしょう。鎖国がなければ、西洋文明による世界制覇を、日本人がもっと早く突き崩していたことでしょう。(2018年12月)

◎世界史における日本史については、次を記していますので、参照願います。
「日本は世界史で常に重要な役割を演じている」(2014年2月掲載、「私の主張」内)
◎西洋文明が「常時戦争型文明」「弱肉強食型文明」であることについては、次を記していますので、参照願います。
「西郷隆盛の思想について」(2014年8月掲載、カテゴリーは日本史・文化論)
「日中韓の文明比較について」(2017年3月掲載、カテゴリーは日本史・文化論)
「教養を高めて欧米人と対等に渡り合おう」(2017年5月掲載、カテゴリーは知的生活論)
◎「常時戦争型文明」「弱肉強食型文明」での国際秩序については、次を記していますので、参照願います。
「日本人は国際音痴から脱しなければならない」(1982年8月執筆、2014年3月掲載、「私の主張」内)
◎アメリカが戦後一旦は経済戦争に敗れたが、再度復活したことについては、次を記していますので、参照願います。
「アメリカの危機管理に学べ」(2016年1月掲載、「私の主張」内)

カテゴリー: 日本史文化論

日本の七大危機

池上彰のニュース解説番組はいろいろありますが、12月5日に放送された「ニュース総決算2018=日本が危ない」(TBS系)は、日本人にとってショッキングかつ最大の課題を突きつける内容でした。いつもは録画して1度見るだけですが、今回は2度、3度と再生、確認したのでした。

世の中には、池上氏を、無知な芸能人を相手に説明して得意がっていると見なす人もいますが、政治や経済の問題に関しては、我々一般人も芸能人と大差ないのであって、よく知らないのだとの立場から、謙虚に耳を傾けることが必要です。逆に、我々が直に新聞やテレビ・ニュースを分析したりせずとも、代わりに池上氏が専門的見地から分析してもらっているので、それを聞かせてもらう機会と捉えるべきです。

普段の池上解説番組では、その内容の半分以上は知っているわい、と思っている人も、この5日の番組では、ほとんどが知らない内容だったのではないでしょうか。しかも問題の深刻さに愕然とします。まさに日本が危ない、と身震いします。

その七大危機とは、①常識が通用しない自然災害、②魚の値上げが止まらない、③相次いだパワハラの告発、④世界が日本ゴミ受入禁止、⑤飲めない水道水、⑥教育格差がますます拡大、⑦外国人労働者に選ばれない日本、の七つです。もちろん日本の大問題としてはこれ以外にも、国家財政の赤字問題、年金・健康保険の赤字問題などありますが、ここに採り上げるのは本年に発生した諸現象についてのものです。

文章容量から、七つすべてを採り上げることはできませんので、ここでは二つの問題を採り上げます。一つは②「魚の値上げが止まらない」であります。具体例として、一般寿司店での一貫の値段と10年後のそれの比較として、うなぎ500円→2000円(4倍)、サバ330円→1500円(5倍)、こはだ150円←1500円(10倍)が挙げられています。

なぜ値上がりするようになったのでしょうか。それはBSE問題が発端となって、世界中の人が魚を食べるようになったからです。特に、ここ10年で中国では大量に魚を食べるようになり、漁獲量世界一となり、まさに乱獲のし放題をしています。ここ10年で魚資源を守ろうと、国際的取り決めもなされたりするのですが、中国はどこ吹く風のごとく、それに同調する気配がありません。まぐろの漁獲高を公表せず、したがって目標枠も設定できません。

池上氏の論調は事実を伝えるのが主のようで、その対策として日本は、乱獲には乱獲以外の方法で、例えば養殖うなぎの太化、サーモンの陸上養殖、マグロの代替魚スマの養成を採り上げ、中国にそれほど批判的ではないようでした。それは、今中国でやっていることは昔日本がやっていたことだから、という理由でした(後は視聴者が考えよ、と問題提起しているのでしょう)。

しかし、昔日本は同じことをしていたから、同じことをしている国に文句は言えない、という理屈はおかしなことです。日本は反省し、国際的取り決めを守っているのであって、地球規模の魚資源の確保のために、中国がこの路線に入るように執拗に養成していくことが肝要です。

もう一つ採り上げるは、③「相次いだパワハラの告発」です。具体例としては、スポーツ界におけるさまざまな告発事例です。それが発生した土壌は日本式のピラミッド型組織にありました。それは絶対的権力を持つ上梓と絶対服従の部下の関係であり、それが一方でパワハラの温床になるとともに、他方で戦後成長期には威力を発揮し、モーレツ社員、企業戦士を生み、高度経済成長を支えたのでした。70年代、80年代はまさに「Japan As No.1」であったのです。1989年(平成元年)の世界時価総額ランキングで、10位まで7社、50社内32社が日本企業でした。

ところが2018年世界の時価総額ランキングでは、①アップル、②アマゾン、③グーグル、④マイクロソフト、⑤フェイスブックで、日本のトップは37位のトヨタというように日本は大凋落です。中国企業も大躍進しています。

80年代の「Japan As No.1」から2010年代の凋落への原因は何だったのでしょうか。番組では時間がないためでしょうか、スマホが発明されたためだ、としか説明していませんが、真の回答ではないでしょう。そういう側面もあるでしょうが、自由よりも平等を優先して、バブル経済を強引に崩壊させた経済官僚が日本崩壊の張本人です。日本人は経済官僚を断罪する厳しい眼を持たねばなりません。

それはともかくとして、アマゾンは店に行かずに商品を売り買いすることができる企業ですし、フェイスブックは世界中の人が情報を発信し合うことができる企業です。今GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)の時代と言われています。このように物を作らない会社が上位に来ています。世界の主流は「物作り」から「事作り」に動いています。

それを象徴するかのように、グーグルの元人材開発者が次のように言っています。ピラミッド型組織は昔良かったが、今は時代遅れであり、このままでは日本経済を滅ぼす、そもそもピラミッドはお墓であり、そんなピラミッドの中で働く人は死体も同じである、と。ということで、番組ではフェイスブックの社内を取材し、そこでの仕事ぶりを紹介しています。

それによると、フェイスブックでは、修業時間なし、好きなスケジュールで勤務でき、しきりのない空間で、それぞれ好きな席で仕事し、敷地内のどこに行って仕事してもOKであり、従業員食堂での飲食は無料、飲食のときに他の人と話し合いが行われアイディア生まれるし、全社のアイディア・コンテストもあるし、さらにはCEOやCOOの入ったアイディアを聞く会もある、とのことです。

同社の社是は、①インパクトのあるアイディアを出せたか、②自分のアイディアをいかに人を巻き込んだか、③他人のアイディアをいかに助けたか、の三つであり、要はいかに早くアイディアを出し、商品かできるか、ということに尽きます。日本の企業もピラミッド型から、フラットでアイディアを商品化しやすい組織に、変貌を迫られているのです。それをしなければ、日本企業の明日はないでしょう。

どうですか、皆さん。他の5つの項目も同様です。見逃された方はインターネットなどで番組要約記事も載っていますから、それらを参考にしてもよいでしょう。ともかく日本は大変な危機の時代に入っています。その覚悟で日本の将来を真剣に考えていきましょう。(2018年12月)

◎ビデオの活用の仕方については、次を書いていますので、参照願います。
「ビデオの知的利用について」(2018年3月掲載、カテゴリーは知的生活論)

◎中国との接し方については、次を書いていますので、参照願います。
「中国の反日政策にどう対応すべきか」(2015年4月掲載、「私の主張」内)

◎日本のバブル崩壊については、次を書いていますので、参照願います。
「バブル経済崩壊雑感」(2014年2月掲載、カテゴリーは政治・経済論)
「バブル崩壊と文明論」(2014年2月掲載、カテゴリーは政治・経済論)
「左翼思想が日本を滅ぼす!――経済の危機管理徹底の必要性について」(2015年11月掲載、「私の主張」内)
◎アメリカが一時は日本に敗れ、再度盛り返した、その危機管理法については、次を書いていますので、参照願います。
「アメリカの危機管理に学べ」(2016年1月掲載、「私の主張」内)

カテゴリー: 政治・経済論

健康番組の活用について

3年前に「健康番組の隆盛に寄せて」(2015年4月掲載)というエッセイを書きましたが、その後この方面のテレビ番組状況は大きく変わりました。そのとき採り上げた番組はほとんど変化していました。

例えば、「ためしてガッテン」(NHK)は「ガッテン」に名称変更し、レギュラー出演者が変わりました。「みんなの家庭の医学」(テレビ朝日系)は「たけしの家庭の医学」に名称が変わるともに、曜日も変わりました(水→火)。曜日変更になったのは、他に「主治医が見つかる診療所」(月→木、テレビ東京系)があります。

またその期間に、「駆け込みドクター」(日、TBS系)はなくなりまし、逆に新規に登場したのが「ザ・名医の太鼓判」(月、TBS系)、「美と健康の新常識」(火、BSプレミアム)、「偉人たちの健康診断」(水、BSプレミアム)です。

3年間にこれだけの変化があったことは、健康番組への要望がそれだけ変化してきた、それに対応してテレビ局も知惠を絞った、ということなのでしょう。日本社会はまさに高齢化社会に入っていて、高齢化社会をいかに生き抜くか、その健康長寿を保持するにはどうすればよいのか、そのための社会の制度はどうあらねばならないか、これらが最大の課題となってきております。

今テレビ界で、いかに視聴者の関心ある番組を作成するかで、TBS系とテレビ朝日系がしのぎを削っているようです。視聴者アンケートでも、両局は他を引き離して上位1・2位らしいです。昼のニュース解説番組でも、この激突があり、ここではTBS系が勝利したようです(2・3年前にテレビ朝日系はニュース解説番組を降ろしました)。

激突の第二段は健康番組で行われているようです。TBS系は「ジョブチューン」(土)を立て、対するテレビ朝日系は「今でしょう!講座」(火)で巻き返しを図っているかのようです。ともにもともとは健康番組に特化した番組ではありませんが、ここに来て、病気症状別の対策食材(薬味を含む)や健康長寿者がよく食べる食材などをテーマとしてきています。

同じようなテーマを扱うわけですから、まったく同じテーマになることもあります。そのときに解説する人が違えば、その推薦する食材が異なって当然です。しかしときには同じ人が同じテーマで別番組に登場することがあります。

例えば、良い(深い)睡眠を得るための、直前に飲む飲み物としては何が良いか、これに対する回答は「ジョブチューン」において水出し緑茶(クール)であり、「今でしょう講座」においては麦茶(ホット)でした。どちらもテアニンなどの作用で、脳にアルファー波が発生し、脳がリラックスできる、というものです。解説したのはどちらも同一人物でした。

一番良いとして推薦してもらうのは一つしかないはずです。別番組とはいえ、答えは同じであってよいはずですが、違った回答になったのには、何か訳があるのでしょうか。二つの番組の放送日には2・3カ月の差がありますから、その間のその人物の考えの変化があったのでしょうか。それとも各放送局の思惑があるのでしょうか。あるいはスポンサーの関係で、推薦食材が変わるということなのでしょうか。

私が実践した限りでは、水出し緑茶はかなり効果的です。寝付きにくかったり、夜中に起きることも減りました。水出し緑茶の場合、寝る1時間前に冷蔵庫からポットを取り出して、コップに注ぐだけですが、ホットの麦茶の場合はお湯を温めるという作業が加わるのが難点です。

ここ半年間で放送された中で、高齢化社会で気になる、骨粗鬆症対策で採り上げられたものを示せば、次のとおりです。〇梅干し料理を食する(ジョブチューン)、〇紅白(梅干しとしらす)の食べ合わせを行う(名医の太鼓判)、〇ゆずを食する(ジョブチューン)、〇梅干しとワカメの食べ合わせをする(この差って何)などです。ここではTBS系の活躍が見られます。

もう一つの高齢化社会で気になる、認知症に効果的な食べ物を特集したものには、次があります。〇カマンベールチーズ、赤ワイン、サバの水煮缶を食する(ジョブチューン)、〇海苔を食する(ジョブチューン)、〇サバとリンゴの食べ合わせを行う(この差って何)などです。ここでもTBS系が目立ちます。

認知症対策で総合的最先端的説明をしたのは「世界一受けたい授業」(土、日本テレビ系)の一コマでした。まず、食事では、ブロッコリー、サケ、キノコを食する(アミロイドベータを排出する)、チーズ、キムチの発酵食品を食する(菌のバランスを正常化する)、オリーブ・オイル、アボカドを食する(これらの食品内の不飽和脂肪酸が脳の機能向上、活性化させる)、卵を食する(コリンが豊富にあって、アセチルコリンの減少につながる)ことが大切で、さらには夕食から翌朝食までの間を12時間空けることが肝要と、いうことでした。

次に、睡眠では7-8時間はとる(それ以下では、脳へのダメージが蓄積され、アルツハイマー病のリスクが高まる)、運動では有酸素運動(ウォーキングなど)と筋肉トレーニングが重要である(筋肉の量を増やすと、テストステロンというホルモンが作られ、記憶を司るニューロンが活性化し、認知機能のアップが期待できる)とのことです。軽度認知障害(MCI)では、認知症予備軍で発見できれば、対応次第で発症を妨げることができる、ということです。

健康番組をより有効に活用するためには、番組を録画しておいて、それを何度も見るということが第一でしょう。二度三度と同じものを見ていると、理解力がより深まります。それを補うのがその番組のホームページを検索し、その中のアーカイブで当の番組の概要を確認することです。ただ、事務的な記述が多く、知りたいことの細部まで書いていないのが現状です。

その次には、その欠点を補うべく、その番組の再生中に書き取りを行って、それを保存する、もしくはそれをパソコン・ファイルへの書き込みを行うことです。そうすることによって、脳の活性化にもなりますし、ある健康テーマについて、多角的な考察・判断ができます。上記の記述も私のパソコン・ファイルの中から取りだして記載ものです。

皆さんもこれをヒントに健康番組を活用し、ご自身の健康増進に役立ててください。定年後の長い人生を有意義に過ごしていきましょう。(2018年11月)

◎健康問題についての私の論としては、次がありますので、参照願います。
「健康番組の隆盛に寄せて」(2015年4月掲載、カテゴリーは人生・人間論)
「最近の一日の生活」(2015年5月掲載、カテゴリーは人生・人間論)
「『養生訓』について」(2018年2月掲載、カテゴリーは人生・人間論)
「黄門様の健康法」(2018年3月掲載、カテゴリーは人生・人間論)
◎番組の録画・書き取り・入力については、次を山椒してください。
「ビデオの知的利用について」(2018年3月掲載、カテゴリーは知的生活論)

カテゴリー: 人生・人間論

小室直樹伝の面白さ

ついにと言うか、とうとうと言うか、8年前に死去した大評論家・小室直樹の伝記が出ました。村上篤直『評伝小室直樹』上下(ミネルヴァ書房、2018年)がそれです。同じく大評論家の山本七平や渡部昇一の伝記は出ていたのですが、今まで小室の伝記はなかったのです。

評判の書であるらしく、図書館で借りるとしても、何人か待ちです。幸いにして下巻を借り出すことことができました(上巻はいまだに予約待ちです)。さっそく読み始め、その面白さにビックリです。小室直樹という人は普通の人ではなく、非常に変わった人である、ことは知っておりましたが、ここまでとは。

小室の学問の広さと深さには定評がありますが、他方一人間としては奇人、変人の類の人で、生活について言えば、生活力ゼロ、生活知がないのです。この本の記述によると(以下同)、50歳前で、定職を持たず、自己所有の住居を持たず、6畳の間一つのアパートで暮らし、その部屋はゴミやほこりまみれで、自らをルンペンと称しておりました。

生活力ゼロについては、評論家として名声を博した(印税がガッポリ入った)後であっても、マンション探し、マンションの管理、印税の管理、節税対策、研究所設立管理などは、本人が行うことはない(できない)ので、友人の弁護士・渡部喬一と出版社の小室担当者が代わりに、相談して行っているのです。

ここで、出版社と著者の関係には驚かされます。一般に売れっ子小説家がホテルでカンヅメになる、という話はよく聞きますが、小室の場合もそれ以上です。同業者間の争いが烈しく、超売れっ子著者・小室を独占しようとする出版社(担当者)はある著作原稿を書いてもらうために、本人をホテルにカンヅメにし、夫人をも観光案内して他の出版社からの接触を避けさせるのです。

この伝記の著者は各出版社の小室担当者をクロズアップして、出版業界の第一線(あるいは暗部?)の活動を詳述しているのですが、それには驚くものの、我々としてはそういったことにはあまり関心がないので、深追いはしません。

小室という著作家は出版社にとっては、良い(扱いやすい)人ではなかったようです。小室は酒飲みで、原稿締切は守らないし、実務は何一つできない、いくら催促しても平気であり、酔っ払ってわめき散らすばかりで、カンヅメにしても原稿はできあがる方が珍しいのだそうです。

しかし、面白い原稿を書けるし、その著書が売れる(ベストセラーになる)し、担当者としては、小室と接触すればするほど、愛すべき人だと感じ、入れ込んでしまうらしいのです。

そこで、小室対策として小室担当者が採ったものの一つは、小室にあるテーマで喋らせて、それを筆記し、それを他のライターがさも小室が書いたかのように執筆し、それを小室著として売り出すという方式です。すべてがそういう方式ではないにしろ、そいうものが何冊もあるそうです。

そういう小室にお笑いタレントと対談させたりもして、それを雑誌なとで公表もしています。この本にはそのような会話が収録されています。それが面白い。横山やすしや立川談志などとの会話は抱腹絶倒ものです。

このように小室直樹という人は奇人・変人であります。奇人・変人の著作家ということで思い出すのは明治・大正の小説家・村上浪六です。浪六は処女作で一躍有名になる(たらふく原稿料を稼ぐ)と、ぷいと行方を眩まし、著作以外のしたい放題をする。金がなくなると、堅気の定職に就く。

新聞社が浪六を見つけ出し、小説を書かせ新聞発表させようとすると、破格の原稿料を要求する。新聞社もそれに折れざるをえない。なにせ著作を出せばベストセラーになるわ、新聞発表すれば、新聞購読者が増えるわで、筆1本で出版社や新聞社を隆盛にできたりするのは彼くらいなものですから。あの夏目漱石でも生涯に30本か40本かの小説しか産めなかったのに、浪六は100本以上は書いています。

もう一つ思い出すのは江戸時代の『近世畸人伝』です。ここには、一芸一行に秀でた、したい放題のことをした、変人奇人の行動を綴ったものです。現代において『現代畸人伝』を出すとすれば、その最初に小室直樹が載ることは間違いありません。

最後に小室の伝記について、山本七平伝や渡部昇一伝との比較を行っておきましょう。山本七平については、死後6年後に、稲垣武『怒りを抑えし者――評伝・山本七平』(PHP研究所、1997年)が出ましたし、渡部昇一については、死去の年に松崎之貞『「知の巨人」の人間学――評伝・渡部昇一』(ビジネス社、2017年)が出ました。小室直樹については、死去8年後に出ました。

三者の伝記比較のついでに、三者の執筆活動の比較をしておきます。山本七平は50歳から70歳までの20年間活動しました。渡部昇一は専門書は除き、一般評論書で言うと、44歳頃から86歳頃まで、約42年間活動しました。それに比べて小室直樹は48歳から72歳までの24年間でした。これから言えば、どちらかと言えば、山本七平に近い執筆スタイルと言えるでしょう。

小室のような人が学界では受け入れられず、評論家として大成したことは日本としては良かったのでしょうか。またそれは何を意味しているのでしょうか。(2018年11月)

◎小室直樹追悼エッセイとしては、次を書いていますので、参照願います。
「小室直樹氏を偲んで」(2010年10月執筆、2014年2月掲載、カテゴリーは政治・経済論)
◎小室直樹の学問内容とその方法については、次を参照願います。
橋爪大三郎、副島隆彦『現代の予言者小室直樹の学問と思想――ソ連崩壊はかく導かれた』弓立社、1992年
橋爪大三郎編『小室直樹の世界――社会科学の復興をめざして』ミネルヴァ書房、2013年

なお、本『評伝小室直樹』も小室の学問がいかなるものであるかについても、格好の参考書となっています。特に、小室ゼミでの発言内容や主要書での核心部分の掲載などがあり、非常に便利です。

◎渡部昇一追悼エッセイとしては、次を書いていますので、参照願います。
「渡部昇一氏を偲んで」(2017年6月、カテゴリーは日本史文化論)
◎村上浪六については、次を参照願います。
ウィキペディア「村上浪六」
青木育志、青木俊造『明治の総合出版社・青木嵩山堂』アジア・ユーラシア総合研究所、2017年
◎『近世畸人伝』については、次を参照願います。
ウィキペディア「近世畸人伝」
『近世畸人伝・続近世畸人伝』東洋文庫、1972年
青木育志、青木俊造『明治の総合出版社・青木嵩山堂』アジア・ユーラシア総合研究所、2017年

カテゴリー: 人生・人間論

西田幾多郎展を見学して

本日、閉展間際の「京都大学の西田幾多郎」(11月4日まで、京大文書館)に行ってきました。同大学と西田の故郷にある西田幾多郎記念哲学館(石川県宇ノ気町)との共催で、京大時代の写真や資料を展示したものです。

私は十何年ほど前には、上記の西田幾多郎記念哲学館にも行ったことがあります。そこには書斎が再現されていました。その部屋に2000冊もあるとのことでしたが、もっともっと少なく感じました。我々の書斎と比べても、広さは広いですが、意外とシンプルなのには驚きました。

最近の哲学関連の出版では、西田哲学や京都学派関連の本の出版が目立つようです。戦後流行ったマルクス主義、実存主義、プラグマティズム、分析哲学はいずれも歴史的使命を終えたのか、下火となって、それに代わるにフランスのポスト・モダン思想か個々の思想家の個別研究かが主流になっているようです。

そういうこともあってなのか、西田展開催になったようです。見回って行くうちに気付いたことなどを記してみましょう。西田は前半人生ではいろいろ苦労しています。京大教員になったのは40歳のとき、主著の一つであり出世作となった『善の研究』が出たのは41歳のときでした。西田は遅咲きの人であったのです。

しかも最初は助教授であり、翌年に教授となっています。その助教授のとき、教授は西田よりも年下の桑木厳翼であったのです。その桑木が京大を去ったために、その後釜として教授になったようなものです。だが、西田はそのようなことはまったく気にしていないようだった、と解説されていました。

人との関係で言えば、二人ばかりが目につきました。一人は左右田喜一郎です。左右田は新カント派の経済哲学者であり、西田哲学の批判者であり、西田哲学の名付け親です。その左右田が批判論文を書いた翌年に、左右田が頭取を務める左右田銀行が倒産し、左右田は私財を投げ打って預金者の保護に当たり、その心労が大きかったのか、同年死去してしまいます。西田は左右田に再批判を期待したが、その夢は叶わなかった、ことが記されていました。

このことは人生論として大きな意味を持つ、と思います。学問的着想鋭い左右田は終生大学人であるべきであって、実家が銀行家であったとしても、その後釜はその従業員に任せればよかったのです。人は心の底からやりたいことに進むべきです。左右田と同様に学問に進んだが、実家の家業跡継ぎに舞い戻った人を私も1・2人知っていますが、いずれも家業を継いでからは、精彩を欠いています。

そのように左右田が家業を継がなかったならば、左右田は命を長らえられたであろうし、日本思想界にとってもよかったのです。特に、西田哲学批判の第二弾、第三弾がありえたでしょうし、西田哲学にとっては運悪いでしょうが、日本思想界にとっては大いにプラスになっていたはずです。

もう一人は物理学者の湯川秀樹です。湯川は学生時代、西田の「哲学概論」講義を欠かさず聴講したとか。後年にはしばしば西田の自宅を訪問したとも、また湯川の家の座敷には、西田揮毫の「歩々清風」の額がかかっていた、とも記されていました。西田も物理学者の何人かと親交があり、物理学の動向に気を配っていたとか。これは意外な情報です。

西田の京大での講義ぶりについては二人の記述がありました。一人は弟子の山内得立の証言。「いわゆる雄弁ではないが、あれほど心肝に徹する講義振りはどこへ言っても聴かれなかった。……淡々として、しかも必情からにじみ出るような、西田先生の講義はまったく一つの芸術品であった」。

もう一人は同じく弟子の三木清。「ときには、話が途絶えて、教壇の上で黙って、考え込まれる。そうかと思うと、急に思索が軌道に乗ったかのように、せき込んで話される」。

二人の証言から言えることは、西田の講義は学生のための講義ではない、自分自身の思索のための講義であった、ということです。こういうことでよいのでしょうか。講義は教育の一環なので、学生のためのものですから、学生に分かりやすく説明すべきですし、それからは完全に逸脱しているようです。世界的哲学者であれば、自己のための講義も許される、というのでありましょうか。

このことは別のことも意味しています。日本のほとんどの哲学者は西洋哲学者の誰々についての研究者であって、本人独自の哲学を持たないのですが、西田は唯一と言ってよいほど、自己の問題として哲学を考えて、自己独自の哲学を有する人であります。

本エッセイでは敢えて西田哲学の哲学としての評価を記しませんでした。それについては、稿を改めたいと思います。それには西田哲学の中身に踏み込んだ上で、なさねばなりません。いずれこのことに真正面から突き当たらねばなりません。(2018年10月)

◎昨今の哲学の流行具合については、次を記していますので、参照願います。
「分析哲学の盛衰とフランス形而上学」(2014年7月掲載、カテゴリーは哲学・宗教論)
◎哲学でみずから考えて、独自の哲学をもつことについては、次を記していますので、参照願います。
「みずから考えることの大切さについて」(2014年7月掲載、「私の主張」内)

◎西田哲学の思想そのものの批判検討としては、次を記していますので、参照願います。
「西田哲学が非とされるべき理由」(2018年10月掲載、「私の主張」内)

カテゴリー: 哲学・宗教論

木版口絵の成立過程

1カ月以上前でしょうか。私はある研究会で、研究発表をし、そのときあった質問に答えたことについて、記してみたいと思います。その会は日本の出版文化について研究する会です。私は昨年に『明治期の総合出版社・青木嵩山堂』を上梓したので、その会の人から、その関連の話をしてくれ、と頼まれたのでした。

そのときのテーマは著書とは離れて、「青木嵩山堂を中心に見た明治期大阪出版業」としてみました。時期的には、江戸期の木版印刷から明治中期以降の活版印刷までの、ちょうど中間に当たる明治期で、しかも大阪特有の出版事情を話したわけです。

話し終わった後の質疑応答で出たメインの話です。それは明治期文芸出版の特殊性といったものです。それは明治20年頃から大正始めまで主流となった木版彩色口絵付きの小説の形態です。この頃、本文は活版印刷となっておりましたが、口絵だけは江戸時代の伝統を受け継いだ木版口絵となっていて、これがこの期の大きな特徴でした。

小説としては、政治小説の後期から自然主義文学が主流になるまでの時期で、この時期の小説はほとんどが木版口絵付きです。末広鉄腸『雪中梅』、山田美妙『女装の探偵』、幸田露伴『五重塔』、村上浪六『当世五人男』などなど。

この当時の有名な口絵画家としては、水野年方、鏑木清方、宮川春汀、稲野年恒、梶田半古、富永永洗、鈴木錦泉、筒井年峰などがいます。この中で最も有名な人は鏑木清方でしょう。この人は今では日本画家、しかも美人画で有名な人ですが、もともとは口絵画家から出発しています。

問題は、そういう口絵画家がその小説を一通り読んでから、作画に取りかかるのか、その小説を読まずに作画するのか、ということでした。通説は小説を一通り読んでから作画する、というものです。私はこれに異を唱えたのです。私は元来天邪鬼ですから、通説には反発したくなります。

通説は人間の本性や心理に反しています。第一に、画家は絵を描くことは上手いが、小説を書いたり読んだりするのは苦手な人が多いはずです。小説を読んで一から絵を描く、とするならば、小説を読むだけで多大な時間を費やして、肝心の絵を描くことができなくなります。画家の心理に反しています。

第二に、通説によると、口絵画家は小説の原稿を読むことになりますが、毛筆や続け字だらけの原稿をすらすら読めたでしょうか。この欠点を補う考えとしては、活字にした原稿を読むということも考えられますが、この場合小説家としては1日も早い出版を望んでいるはずですから、その心理に反します。本文の印刷は済んでいるのに、さらに口絵の制作に時間がかかります。

第三に、そうした方法で口絵画家が口絵を描くとしても、読後どの場面を描くかを口絵画家が考えてから描くとすれば、さらに時間がかかり、何作も同時に抱えている口絵画家にしても、それは心理的に重荷になるはずです。悠長な時代と考えられる明治の出版社としても、それを見過ごすには、あまりに時間がかかりすぎ、時間的にも、ビジネス的にも合理的ではありません。

第四に、挿絵を何枚も描く場合は、事前に小説を読んでから描くことが必要ですが、たった一つの口絵を描くために、小説を始めから終わりまで読み通すことは必要でないばかりか、口絵画家として非合理的行動であり、そういった行動を拒否するのが人間の心理のはずです。

そこでこう考えるのがよいでしょう。出版社が小説家から物語りのハイライトやクライマックス部分を聞き取り、それを口絵画家に伝えて、それを描かせる、のです。その方が、出版社としては最も合理的な行動ですし、納得がいきます。小説原稿ができあがった段階で、出版社は口絵を口絵画家に依頼し、同時に文字処理をして本文の活字印刷をして、両方できあがったときに、それを合体させ、出版するのです。

これは通説を論駁する一つの仮説です。問題はこれを証する資料があるかどうかです。一番良いのは、口絵画家がこうして口絵を作ったのだ、と書いている資料があることですが、口絵画家がこういう文章を残すことはまずはありません。得手、不得手の分野が異なるからです。

私が調べた限りでは、上記の口絵画家のうち、文章を残しているのは鏑木清方、梶田半古くらいなものです。このうち梶田半古はみごとな論説文をものしています。鏑木清方はかなりな量の随筆を残していますが、いわばべらんめい的な文章です。

鏑木清方はその中で、確かに小説を読んでから作画にかかる、と解釈できる文章を書いていますが、これはこう解釈すべきではないか、と思っております。つまり、出版社からこの小説はここがハイライトだと伝えられた、鏑木清方はそれだけでは納得できず、みずから原稿を取り寄せて、その前後を読んで、そのハイライト部分をどうやって忠実に描くのか、そのヒントを探っていた、と。それだけ鏑木清方は勉強熱心であったのです。

その小説にその口絵が最も相応しいのか、そうでないのか、その口絵があったために売れたのか、そうでないのか、それを小説ごとに検討していく研究があれば、この問題の解明にも少しは寄与するのではないか、と思うのですが、どうもそういう研究はないようです。(2018年10月)

◎青木嵩山堂について、次を参照願います。
青木育志、青木俊造『明治期の総合出版社・青木嵩山堂』アジア・ユーラシア総合研究所、2017年
「明治期の総合出版社・青木嵩山堂」(本ブログ内「著作一覧」内)
「青木嵩山堂」(ウィキペディア)
◎明治期大阪の出版業については、次を参照願います。
吉川登編『近代大阪の出版』創元社、2010年
◎木版彩色口絵については、次を参照願います。
「木版彩色の口絵付き小説本のこと」(2017年9月掲載、カテゴリーは文学・芸術論)
山田奈々子『木版口絵総覧――明治・大正の文学作品を中心として』文生書院、2005年
◎鏑木清方の文章については、次を参照願います。
鏑木清方『こしかたの記』中央公論美術出版、1961年

カテゴリー: 文学・芸術論
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