学校教育から体育を全廃すべし

日本人は、学校教育には体育があるのは当然、と思い込んでいる。現に日本の学校教育では体育の授業がある。それも小学校、中学校、高等学校、さらには大学の教養課程でもある(現在はないかもしれないが)。このような学校教育での体育は必要なものであろうか。

これを考えるようになったきっかけはヨーロッパ旅行である。イギリスは別として、ヨーロッパ大陸の学校では、体育の授業はない。そのために運動場や体育館もない。したがって学校としての敷地は狭いし、建物も学舎だけである。

ヨーロッパでは、学校教育は学問や芸術を教えるところであり、体格を鍛えたり、スポーツ競技を教えるところではない。体格を鍛えたり、好きなスポーツ競技をすることは個人の意志ですべきことであり、学校が強制的に全生徒にやらせることではない。すべての人がサッカーやバスケットボールやバレーボールやその他の競技を習っても、将来それらの競技をするプロ選手になるのはわずかである。そのわずかのために、その他大勢の生徒が無意味な時間を空費することになる。その他大勢の生徒がそれらを練習することによって、体育的に向上することはない。ただ、そういう競技のルールを知るだけだろう。

そもそも体育教育の中で、跳び箱で宙返り跳びをさせたり、鉄棒で宙返りさせたりすることが、体力の向上になるというのであろうか。将来その選手になるためには必要だが、そうならないその他大勢の生徒にはいかほどの意味があるのであろうか。サッカーやバレーボールのルールや競技の仕方を会得したとしても、それが将来の社会生活にとってどれだけ役立つのであろうか。サッカーやバレーボールの観戦で少しは理解が早くなる程度である。逆に、学校の体育でゴルフを習うことはないが、その後ビジネスマンとなって、つきあい上必要となれば、ゴルフの練習をして、人並みのプレーができるのが現実である。

体育が一般の生徒にとってほとんど意味がないばかりではない。体育がほとんどの生徒を身体損傷の危機に陥れているのである。それが明らかなのは、体育祭における組体操(ピラミッド)やムカデ競走における事故である。事故を起こした学校側は生徒の一体心を育てるためとしているが、一体心を育てるには他に方法はいろいろある。組体操などは体育教師の自己満足のためにしているだけであり、それよりも生徒の身体の安全を図ることの方がよっぽど大事である。組体操などは日本全国的に即刻廃止すべきである。体育を廃止すれば、当然体育祭も廃止となる。

体育は身体損傷させるだけではない。将来の人生を台無しにしたり、生命をも奪うことにもなりかねない、のである。上記の組体操やムカデ競走、さらには狭い柔道場で投げ飛ばされ他人と接触して事故を起こし、脳障害を起こし、将来の人生が惨めなことなることも起きているし、そこから死へと繋がることもある。2017年3月、栃木県での高校生の春山登山訓練では死亡事故も起きている。8人死亡、40人負傷がその結果である。

体育が一般の生徒の身体を害したり生命を奪うだけではない。スポーツを指向する生徒は、部活動でそれそれのスポーツを専門とするスポーツ部に所属して、放課後部活動に励むことになる。部活動の半分以上はスポーツ部とのことである。この場合の問題は大きく言って、二つある。

一つは、生徒が学業よりもスポーツの部活動に精を出し過ぎることである。特に、学業でよい成績を残せない者がスポーツの部活にはけ口を見出して、より一層学業には振り向かなくなる傾向にある。教育行政から言えば、生徒の多様性の発揮を願っての制度が、かえって学力向上を阻む結果となっている。

もう一つは、部活動の花が他校との対抗戦とか、スポーツ各組織によるスポーツ人材発掘のためのイベントとかで、学校または個人の名を上げるために、勝つための練習になる、ということである。スポーツは学業に専念する者が気分転換にするとか、礼儀・規律を養うためにするとか、の場合はある程度の意義と効果はあるが、勝つための練習、学業をほったらかしにして、まるでプロ並みの練習をすることは、本末転倒も甚だしいし、そこでは鬼コーチによる「訓練」と言う名の「暴力」がなされ、生徒の自殺ということも発生する。まさにスポーツの地獄を導出するのである。大阪の桜宮高校生の自殺は氷山の一角である。

体育教育の必要があるとすれば、小学校における水泳であり、それは夏休みを含めた前後2カ月で対応すればよい。それに中学校における保健であり、週に1回の程度で十分である。

昨今、理科系教育の充実が叫ばれ、英語教育の小学校での実施、土曜日授業の廃止が叫ばれたりしているが、その障害になっているのは授業時間の枠である。その解決は実に簡単である。体育の授業を全廃すればよいのである。1週間4枠か5枠が確実に空く。理科教育、英語教育、ディベート教育のために、体育の廃止が必要なのである。

さらに重要な問題がある。それは体育関係の競技をするために進学するという風潮である。学校によっては、そういう者のためにわざわざ入学試験のレヴェルを落としたり別枠とする、といった措置を講じている。つまり本来の学力を有しない者が高校や大学に進学し、高校や大学の全体の学業レヴェルが落ちるのである。従来から日本の高校や大学のレヴェルが低いことが問題とされていて、学力の向上が叫ばれているのに、こういったことがあるために、一層の低レヴェル化が進行するのである。ここからも、体育競技の選手を目指す人には、ジムや専門の学校に行くように指導し、社会的にそうさせていく措置が望まれるのである。

体育を全廃すると言えば、音楽や家庭科や技術も同様に排ししないのか、音楽や家庭科や技術が広い意味で国民の教養として必要であり、廃止しないのならば、同様に体育も国民の教養として必要であり、廃止するべきではない、という意見も出てこよう。だが、決定的に違うのは、上述したごとく、体育が身体を損傷したり、生命を脅かす可能性があるが、他の教科ではそのようなことはない。これは極めて重要なることである。

体育の授業を全廃するとすれば、いろいろなクレームが出てくるだろう。その第一はオリンピック選手やプロ・サッカー選手の育成ができなくなり、日本がスポーツで活躍できなくなる、というものである。

これに対しては、こう言おう。そもそもオリンピック選手やサッカー選手は学校の体育の授業で育成できるものではない。それ専用の特別の訓練が必要である。体育の専門大学や高校の課外活動やそれ専用の合宿やジム、スポーツクラブなどである。

ヒントになるのは体育授業のないヨーロッパの場合である。ヨーロッパでは、オリンピック選手やプロ・サッカー選手になるような者は小学校の頃からサッカー・ジムなどスポーツジムに通っている。これは正確な情報ではないが、彼等は中学校、高校には行かず、それ専用のジムあるいはスポーツ学校に就学する。その証拠にオリンピック選手やサッカー選手の肩書きには、何々高校卒、何々大学卒などは出てこない。何々ジム在、何々スポーツ学校在などがほとんどである。

第二のクレームは体育の授業がなくなれば、日本人の体力が劣るようになる、というものだ。これには、反対のことを考えればよい。体育の授業のないヨーロッパ人は日本人よりも劣っているのであうか。

第三のクレームは体育を全廃すれば、体育教師が失業し、社会的混乱が生じる、というものである。これに対しては、確かに社会的措置が必要である。失業した体育教師をジムやスポーツクラブのインストラクターに雇ったり、彼等を社会的に飢えさせないような措置を採ればよいのである。(2015年3月起文、2017年に複数回修正)

◎体育会系の部活のあり方については、「私の主張」内に「体育会系の部活を制限すべし」を掲載していますので、参照願います。

学校教育から体育を全廃すべし」への43件のコメント
  1. Grank より:

    昨年まで高校生だった者です。

    体育は全廃すべしという意見は、間違っていることでは無いと思います。

    ご主張の通り、体育をなくしたところで、日本人の平均体力が落ちるだとかそのようなことは考えにくいでしょう。

    しかし、大多数の生徒はそもそも「体育科目の自身にもたらす影響」を理性の視点から考えながら、授業を受けているわけでは無いと思います。

    「楽しいから受ける」
    これが大多数の考えではないでしょうか?

    楽しいから残すという考えではいけませんか?

    楽しいから残す という考えではいけませんか?

    大学の授業においても、座学としての体育か運動する体育を選択できますが、私自身両方を選択してみて、圧倒的に後者を選択する人が多いかと。抽選になるほどです。

    部活動に関しても、部活動に専念しすぎるあまり学業に身が入らない等のご主張なさっていますが、部活動が強制のところは少ないのではないでしょうか。
    つまり、学業がおろそかになるのは個人の問題であって、事実、文武両道の方々はいらっしゃいます。
    部活動ではなくてもスポーツクラブで十分という意見は、確かにスポーツをするという点だけを見れば正しいのですが、部活動はそれだけにとどまらないかと。
    学校の仲間と楽しく、部室でダラダラ過ごす等の経験も「青春」だと思いますし、そのような機会は学校生活を充実させる大切な機会であるかと思います。

    • より:

      でも自分は喘息持ちでマラソン、いやいややってたら、救急車送りになりましたよ(´・ω・)

    • 匿名 より:

      なぜ「スポーツは楽しいものだ!」という前提条件で考えるのでしょうか?
      スポーツ嫌いは全国に大勢いると思いますよ(嫌いになった原因は大半がスポーツ好きの自業自得でしょうね)
      あなたの言葉を借りるなら
      嫌いだから廃止するという考えではいけませんか?

      ちなみに私は小学校で体育教師に「オリンピックに興味無いなんて頭がおかしい」と言われたり、部活(強制)で延々とサッカーボールをぶつけられるいじめを受け、スポーツが嫌いになりましたよw

  2. 月翅 より:

    私は今高校生ですが、
    中学生の時に体育で嫌な思いをしたことがあります。
    (私は運動音痴です。)
    体育祭の練習でダンスをしていたのですが、なかなか覚えられず
    周りの生徒から文句を色々言われたり
    体育の授業でバレーをしていたら
    わざと背中にボールを当てられたりして
    本当に苦痛でした。

    署名でも何でもいいから無くなってほしいくらいです。

    体育はイジメの元になりやすいし
    事故も起こす可能性があります。
    そんなものをやる意味が私にはわかりません。

    体育全廃大賛成です!!!

    • 谷口 真友佳 より:

      体育全廃大賛成です。中学生の時のことで、体育の筆記テストで100点満点中15点取れず、父親に体育できなかったらだめなんだー!ときつく叱られたことが今でも脳裏から離れません。現在、もう28歳ですが。

      自分のできないことをみんなと一緒に我慢してやるのはとても辛いと思います。
      将来のトラウマにもなると思います。

      好きな人だけやるべきです!

    • 体育なんかヤダ より:

      大賛成です

      自分も同じ思いをした経験があります

      運動音痴で体育の授業毎回はさらし者で嫌になり中学時代はいじめもあ不登校になりました

      高校は進級が絡むので
      嫌々出ていましたが球技大会はバックレでした

      国の政策で体育嫌いを減らすと言ってますけど運動が苦手な子は基礎から教え楽しさを知ってもらう等の見直しをしないと失敗すると思います

      因みに現在は空手をやっていますが基礎の基礎から優しく教えて頂いてる師範に出会って楽しさを知り今日まで続いたと思います。

    • 佐々木立篤 より:

      自分も体育の授業は不要と思うし過度な部活も必要無いと思います。ただでさえ学力低下が問題になっているのにスポーツに現を抜かしている場合では無いと思う。スポーツしたいなら専門のクラブに入って専門的な指導を受けた方が実力が伸びると思う。それと高校野球や高校サッカーみたいにたかが部活の全国大会で過度な脚光の浴びせ方はどうかと思う。公共の電波を1日中部活の全国大会に使って欲しく無いです。

    • 佐々木篤史 より:

      体育の時間がなくならないのならサッカーのルールや野球のルール、筋トレの方法などの座学にした方がいいのでは?体育の座学で得た知識を部活に活かしてみては?

  3. 高木ブー同盟🐷 より:

    体育全廃大賛成です。

    私は小学生の時から体育が苦手て苦痛でした。

    小学校~中学校~高校と体育が不得手の為に同級生から罵声を浴びせられ、嫌がらせをされ、高校を中退しました。

    体育の授業は必要ないてす。体育が好きな人だけ部活で楽しめば良いと思います。

    体育祭や体育系の行事も無くして欲しいです。

    私も体育全廃賛成派です。

  4. とくめい より:

    賛成!
    なくていい

  5. 賛成母 より:

    体育が廃止されることを、強く希望します。

    自分の子どものことで申し訳ないのですが、勉強は常にトップクラスにおりますが、体育が苦手でいつ登校拒否になるかとヒヤヒヤしています。
    子どもに「勉強が出来る子もいれば、運動が出来る子もいるんだし…」という話しをしたことがあるのですが、子どもにすれば、授業が理解できなくてもテストの点が悪くても隠すことができるけれど、体育は皆が見ている前で注目され「公開処刑」でしかないと。
    常に人前で恥をさらさなくてはならない上に、運動会・体育祭となれば、自分のせいで足を引っ張ってしまい、居たたまれない気持ちになるだけだと。
    チーム分けされる場合も、運動音痴な子が入ると落胆されるんですよね。
    体育は比較的得意だった私には、わからない視点だったので、聞いてハッとさせられました。

    自分の昔を振り返ってみると、よく体育を見学していた子が2人ほどいたのを思い出しました。
    健康ながらいつも休んでいることに、しだいに陰口を言われるようになり、一人の子はその後、小・中と登校拒否に。
    その後、高校にも行くことはありませんでしたし、結果仕事にも就けないという悪循環に陥ってしまいました。
    体育が苦手なことがきっかけで、いじめに繋がってしまうこともあるという典型的な例かと思います。
    元々優しい子でしたので、学校に通えていれば、きちんと教育を受け、就職だって困ることはなかっただろうと思います。

    現在はダンスの授業も導入されています。
    昔やったフォークダンスとは訳が違いますので、一度笑われてしまった子が、その後、再び皆の前で公開しなくてはいけないのは、どんなに苦痛だろうと思います。

    努力次第で成績をあげることが可能な勉強と、運動神経がない子が体育ができるようになることと、根本違うと思うのです。
    走るのが遅い子が、練習でどこまで速くなるものでしょうか。
    能力が育つものでしょうか、たまにやる体育で、そんなに体力がつくものでしょうか。
    絵が苦手な子が、努力でうまくなるでしょうか。
    才能が開花するものでしょうか。
    例えば、オリンピックにでるような選手は皆さん、素質があった上での努力なのです。
    運動能力だって、絵の才能だって、持って生まれたものではないでしょうか。

    仮に体育を続けるのであれば、スポーツ嫌いな子を増やすような形ではなく、皆で体力づくりをするくらいのものでいいのではないでしょうか。
    運動能力のある子は小学生のうちから、野球、サッカー、バレーなど、それぞれチームなどに所属するでしょうし、好きならばチームや部活で続けていけばいいことです。
    日本の未来のため、子どもたちのためというのであれば、もっとこれから必要とすることが別にあるのではないでしょうか。
    こういった学校生活でコンプレックスを持った子ども達が、結果「コミュ症」になってしまっているような気がしてなりません。
    子どもを追いつめることになるような教育ではなく、諸外国のように自分の持って生まれた能力・素質を生かすことができる、子どもたちが生き生きとするような教育に変えていって欲しいと願っています。
    と共に、これ以上、何かを犠牲にしてしまうような子が増えないように、心から祈っております…。

  6. ペリーさん より:

     体育授業廃止を強く支持します。学校に体育授業は必要ありません。というより体育授業は悪であると考えます。
     学校の授業である以上は各教科には評価が必要となります。評価は学業の努力の成果によってなされるべきです。体育授業における成績とはすなわち生徒の身体能力そのものです。身体能力はある程度先天的に決まっているもので、肌の色・目の色と同じく本人の努力によって変えられるものではありません。生まれながら決まっている能力によって評価がされる、これって人種差別と同じじゃありませんか?

     私はある私立大学付属高校の生徒でした。その学校は付属とは名ばかりで、生徒はみんなエスカレーター式に上の大学に行かれるわけではなくて、少数の推薦枠があるだけでした。ですからその推薦枠を争う学内の競争は熾烈でした。推薦は全教科の総合成績で決まります。
     あるとき私は体育で「2」をつけられました。5段階評価ではなく10段階評価です。あまりの成績の悪さに私は体育教師に質問しました。この評価はいったい何ですか?教師の答えは冷たく「正当に評価した。授業態度が良かったので2で済んでいる。授業態度が悪かったら1をつけていた。」というものでした。私は絶望しました。いくら得意科目の英語・数学・物理で「10」評価をとってもこれでは科目が1つ無いも同然、他の優秀な学友たちに対してもう勝ち目はありません。
     当時、体育教師を金銭で買収するなど考え付きもしなかったピュアな私と私の家族は早々に学内推薦をあきらめ、他校への受験へと進路を変更しました。幸いより偏差値の高い大学に合格することができましたが。
     後々大人になってからわかったのですが、私には骨と関節の先天的な問題がありました。運動が苦手だったのではなく、身体の障害により関節の可動域が著しく狭く十分に体を動かせなかったのです。
     障害者認定を受ける程でなくとも身体に不都合を抱えている人は相当数いるのではないでしょうか?あるいは持病のある生徒さんも多いことでしょう。そうした肉体的ハンディを冷たく切り捨てる体育授業に強く反対します。

     全生徒強制参加のマラソン大会や強歩にも強く反対します。ぜんそくなどのある人は医師の診断書等をもってそうした行事への参加が免除されるでしょう。しかし医師の診断書も無料ではないのですよ。

  7. 通りすがり より:

    同感です。
    体育は廃止か自主参加にするべきです。
    体育の強要は倫理的に問題があります。
    体育が苦痛な生徒だっているんです。
    ダルいなら怠けですが、苦痛なのは明らかな問題です。

  8. 体育廃止しろ より:

    体育廃止超共感です。
    団体競技は戦犯がいじめられるんです。
    50m走でも遅かったらいじめられます。
    あれは、いじめをふやす教科でしかない。

  9. 坂上 より:

    素晴らしいです。とても共感できます。
    是非文科省でも見直してほしいと思います。

  10. るく より:

    現役中学生三年生です。
    体育授業撤廃は賛成です。僕は運動が苦手ではありません。ぶっちゃけ得意な方で、サッカー部にも入っていてレギュラーです。たしかに体育の授業は英語などに比べれば楽ですし体を動かすのは楽しいですが、時間の無駄というのに大いに賛同です。ほかの教科をやった方がためになるし、運動をしたければ部活ならスポーツクラブなどに入るのが普通だと思います。イギリス留学に行った時に、体育の授業ではなく、やりたいスポーツのレクリエーションという形で運動をしました。日本の考え方は間違っています。運動が苦手な子は運動以外で能力を発揮する方がいいですし、体育なんて戦争の名残だと考えてます。

  11. ああああ より:

    問題があるのに、それでも強要するのはおかしい。
    運動したい子は体育、
    したくない子は図書室や教室で自習で良いんですよ。
    無理にやりたい子とやりたくない子を混ぜるから問題が起きる。

  12. ストレッサーは体育です より:

    すごく賛成です。
    私は現在高校生なのですが,体育の授業がとても厳しく,こんなに体育が厳しいなら辞めたいと思うほどです。私の学校の体育は毎回めちゃくちゃ走らされ,学校体操というものの実技試験もあり,受験必須科目の考査だけに集中することなんてできません。しかも体育教師はとても厳しく,体育がある日は学校が爆発されればいいと毎回思ってます。
    体育が原因となり不登校になる生徒や,退学してしまう生徒はたくさんいるのではないのでしょうか。今の時代学校を退学してしまったり,不登校で留年してしまったりすると,就職することもできなくなります。つまり,生きていくのが大変になるんです。学校が体育という教科をなくさない限りは。
    本当になくして欲しいんです。
    本当に。

  13. 西村 ただまさ より:

    青木さんのブロクの体育の授業を全廃せよ、という提言に、こんなに多くのコメントが寄せられています。コメントを通読して、教わることがたくさんありました。
    体育科目の授業での被害を受けた方々の報告ですから、ここで、なぜ体育科が加害者になったのかを考えて見ました。
    結論を先に言います。日本の体育世界はバカの集まりだったのです。
    明治維新の政府は、西洋先進国に追いつけ、追いつけで、軍隊が必要、当然国民を頑強な体の兵隊さんに育てなければなりません。政府のはじめての戦争は明治27年(1894)の日清戦争です。このことと体育教師養成の学校とが軌を同じくしています。
    すでに教員養成の国家機関の総本山である東京高等師範学校は、明治19年には附属の体操学校を体操専修科にしました。これが現在の筑波大学の体育専門学群(学部にあたる)です。
    また日本(にっぽん)体育大学=日体大は、中学・高校体育教員をたくさん送り出して体育教育界のドンです。この前身は明治時代おなじころの日本体育会体操教習所です(明治19年)。 小・中学校では、強いスポーツ選手になろうと思わない生徒のほうが圧倒的に多い。それなのに、種々の競技を教えて、生徒たちに順位を争わせるというのは、どうも国の暗黙的方針「強い兵隊さんを作る」があったはずです。
    さらに第一次大戦後には、日本は軍備力を誇っていたので、ついには国際的な軍縮会議で軍人の数を減らさなければならなくなった。減らすべき職業軍人をどうするか--中学校(旧制)などに「軍事教練」担当官として配属しました。これは当時の体育科の授業に影響を及ばしたことは想像に難くない。
    日本の体育スポーツ科学はずいぶん遅れています。20年ほど前まで、「競技の途中では、水を飲むな」と言われました。思い出してください、兎跳び。膝を痛めることをトクトクと長年やっていたのです。生徒ふたり一組で、一人を背負って「腰を強くする」と歩かされました。腰痛の原因です。
    要するに、日本の体育世界はバカの集まりだったのです。頭のよい人は、スポーツ医学、生理学、心理学を学びにアメリカに留学しました。
    体育の授業でニヤニヤ笑い顔でやっていると、とても叱られた。今はどうです。「はい、チーズ」の顔をして緊張をなくさないと、全身がが動かないゾ、となった(つい先日のテレビで高校野球の完投さんが話していた)。
    もう一度言いたい。日本の体育世界はバカの集まりだったのです。

  14. 女子高生 より:

    高校生です。
    体育の授業を廃止すると海で事故にあっても泳げなくなるし何かあったときに走れなくなるし…って言いますが、
    運動音痴だから体育の授業頑張ってやってても泳げませんし走れませんし、実技を1人ずつ披露とかいう公開処刑のおかげで、体育の授業のおかげでスポーツが大嫌いです!
    なぜこんなにいじめに繋がる授業を廃止しないのか……
    運動音痴でいじめられて自殺する子供も多いに決まってます。
    授業だからとやらせておいて無責任すぎる……
    運動ができない生徒を自殺に追い込む、いじめを生み出す悪魔の教科。
    早く大人になりたいです。(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ _ °̥̥̥̥̥̥̥̥`)

    • 佐々木立篤 より:

      そうですね。泳げるようになるのならスイミングスクールで教わるべきです。泳げなかったら溺れるとか言うけど実際着衣で普通の泳法は服が重くてできないらしいです。学校でなら着衣水泳を教えるべきです。論点はそれますが学校で古式泳法をおしえるのも良いかもね!

      • とある学校の抵抗者 より:

        素晴らしい。私の言いたいこと、いや正確には私たち体育と言う枷に足を縛られ、虐げられた者の言いたいことが全て書かれている。数学ができない者には文系という選択があるし、理科だって社会だって選択出来る。選べない国語英語は生活に必須なものだ。なぜ体育は必須科目なのか。この問に明確な根拠を持って答えられる人間は少なくとも知る限りにはいない。
        体育で仲間との絆が深まる、楽しめる 。
        そういう考えをお持ちの方に言いたい。
        学校科目としての体育は学校ぐるみのいじめにほかならないと。見て見ぬふりをしませんでしたか?輪の外にいる人間を。貶しませんでしたか?ミスをした人間を。
        貴方方にとってかけがえのない思い出、その片隅には私たちの苦悩が埋められている。
        私は体育の選択科目化もしくは全廃を主張します。

  15. いるか より:

     体育廃止、大賛成です。
     春先でも最近は暑いのに、スポーツテストで1500走るとか、プールで25m泳ぐの必須とか、ろくに泳ぎ方も教えないくせによく言うよと思う。まじめに体育の授業でてても全く泳げるようになりませんでした。
     あと、体育教師が脳みそ筋肉の精神論ばっかりで、論理的ではないので嫌です。
     気合だけで乗り切るような指導されたら、倒れます。

  16. ニコ より:

    韓国ではセウォル号沈没事件がきっかけで学校授業に水泳が導入されたそうです。
    日本の授業で水泳が導入されたきっかけも水難事故だったそうなので体育の授業が不要とまでは思いません。心身の安全・健康維持のために強制的に体を動かす時間を持つことには特に反対しないです。
    ですが、サッカーやバスケのような団体競技を行うこと、組体操やうさぎ跳びのような身体損傷のリスクが明確に証明されているものを行うのには反対です。
    体育の授業は体力・体格の差が全く考慮されていません。身長180㎝で体重80キロのがっちり体系のスポーツマンと身長160㎝体重50キロの文科系が同じピッチに立たなければなりません。
    サッカーやバスケのようなコンタクトの多い競技でヒョロヒョロの文科系ががっちり体系のスポーツマンに猛チャージをかけられたときの恐怖は言語に絶します。実際、私は昔、バスケの授業でがっしりスポーツマンに猛チャージをかけられ、怒った私が抗議したら口論になりました。
    身体の脅威に加え諍いの原因になるし、団体競技であれば運動神経の悪い誰かがイジメの標的にされかねません。身体の健康を考えるならウォーキングと水泳で十分と考えます。
    筆者様もおっしゃる通り、本格的に競技をやりたいならジムに行くなり、クラブに入るなるして個人が勝手にやればいいと思います。

  17. アリス より:

    体育全廃賛成です。
    私は高校生です。
    体育がとても苦手で運動音痴です。
    中学の体育教師にはできずに呆れられクラスでもぼっちでペア組む人もいなく1人で立っていましたが先生には見向きもされず怪我しても無視され三年間過ごしました。
    中3で仲良くなった子に体育教師のことを話したらそんな扱いされてたのは私だけでした。
    バスケなどの試合も出たらチームの子や見てる子に邪魔扱いされ笑われて見学すればサボりと言われ
    体調崩しても先生にもサボりだと思われ自分だけができない悔しさなどで見学してる時に過呼吸うけても先生に雑な扱いを受けました。高校に入っても怖くて体育は休みがちになり怖さで体育の授業前に見学したいと言おうとしてつい最近過呼吸になりました。
    体育のある日は学校に行きたくないです。
    体育は先生に差別を受けイジメの原因になります。
    できない人からしたらとても怖い授業です。
    体育全廃にするか大学のように選択制でやりたい人だけやってほしいです。

  18. 高島久美子 より:

    全部ではありませんが、皆さんのコメントを読ませていただきました。
    私は体育大好き派です。大学も体育課でした。
    でも娘が中学生の時、学校の成績を付けるにおいて、運動能力だけで成績を付けていないと言うのを知りました。周りのと協調とか調和とか、取り組む姿勢とか保健のテストの出来とか、いくら身体能力が高くてもそれだけでいい成績は取れないと言うことを知りました。
    要は体育そのものが悪いのではなくて、体育を指導する指導者の指導評価の仕方に問題があるのではないでしょうか。
    苦手な子は得意な子がサポートするとか、ゲームにしても頭脳プレーもありますし、お互い想いやるチームワークも重要です。そう言う事を教えるのが、体育ではないでしょうか。

    • 伊東 より:

      私も以前はそう思っておりましたが、体育の苦手な娘を持ったことで、そういった子達の色々な思いを知りました。
      たとえ指導者に評価され「5」をとれたところで、けっして体育を好きになるわけではありません。
      明るくて自分のミスも笑い飛ばせる子もいれば、自分を出すことが苦手で笑われることや見られることを極度に嫌う子もいます。
      そこを越えることも必要かもしれませんが、苦手という枠を超えた子達にとっては拷問でしかなく、これを授業に組み込んでいること自体、私は娘を見ていて疑問に思いました。

      https://chiik.jp/articles/CUue5(アメリカの体育)
      こんな遊びの中ででもサポートしたり、グループごとに動けばチームワークだってうまれる気がします。
      体育が嫌いな子ども達にとっては、成績の問題ではなく、授業そのものの有り様が問題であるということではないかと思っております。
      少し観点が違う気がしてコメントさせていただきました。失礼いたしました。

      • 一市民 より:

        体育がきらいな子にとって体育は拷問でしかない、だったら国語のきらいな子にとって、みんなの前で朗読することも同じことでは?
        要は個性を認める教育が必要なのではないでしょうか。

      • 佐々木篤史 より:

        自分は体育の授業よりも過度な部活の方こそ諸悪の根源と思っています。何の専門知識も持ち合わせていない先輩から言い渡される筋トレやランニングなんてトレーニング以前に体を故障させかねないものではないでしょうか?顧問の先生にしても経験者がいなくて仕方なく引き受けている先生もいるかも知れません。部活のお陰で生徒の校務たる各種委員会の仕事も出来ないでは諸悪の根源としか言いようがありません。また公共の電波、しかも公共放送であるNHKの電波をジャックに近い状態で中継している高校野球もたかが高校生の部活で持ち上げすぎているとしか思えません。

      • 一市民 より:

        体育がきらいな子にとって体育は拷問でしかない、だったら国語のきらいな子にとって、みんなの前で朗読することも同じことでは?
        要は個性を認める教育が必要なのではないでしょうか。
        それと添付して下さったアメリカの体育の資料はみることができませんでしたので、青木様のおっしゃる全てを知ることができませんでした。なので、正確にはコメントできていないかもしれません。申し訳ないです。

  19. 一市民 より:

    すみません、アメリカの体育の資料を添付して下さったのは、青木様ではなく、伊藤様でしたね。
    なので、私のコメントの一部、青木様のおっしゃる全て、を伊藤様のおっしゃる全て、に訂正させて頂きます。申し訳ありませんでした。

    • 伊東 より:

      「アメリカの体育」についてのホームページがきちんと表示されなかったようなので、もう一度アドレス添付します。
      https://chiik.jp/articles/CUue5

      国語の朗読は生活上、読み書きは必須ですし、体育とは違う気がします。
      バレーやサッカーの授業での団体競技、体育祭でもチームに迷惑をかけてしまう苦手な子の気持ちは、直接聞くことがなければ私にはわかり得ないことでした。
      体育に限らず音楽なども同様の授業をしている学校もあるかと思います。
      得意不得意はありますから楽しむことは不可能であっても、苦手な子の晒される気持ちをもっと考慮した授業内容であって欲しいと思います。

      • 一市民 より:

        苦手な子の晒される気持ちをもっと考慮した授業内容であって欲しいと思います。
        同意見です。ありがとうございます。

  20. 一市民 より:

    なんとなく結論。多分皆さん、良い体育教師に出会えていなかった。
    私はきっとそこそこ良い体育教師に出会えていた。

    • 佐々木篤史 より:

      体育は勉学上ほとんど影響は無いけど国語は重要な科目ですから。体育と優先度が違います。

    • 匿名 より:

      良い体育教師など存在するのだろうか?まあ殆どいないでしょうね。
      なぜ体育教師をやっているのか?というと、それは教師の資格を持っているにも関わらず「勉学を教える人間として不適格だ」とされているからです。勉学を教える人間として不適格なのだから、当然スポーツを教える人間としても不適格です。
      「根性論」や「精神論」「連帯責任」など間抜けな理屈を持ち出したり、クラスが奇数人数で絶対に一人余るのにも関わらず「二人組を作って下さい」などと発言したり(これを利用して孤立している女児と組んでいたずらをした体育教師もいましたね)、体育の間は給水禁止にして子供を危険にさらしてしまったりと、とにかく理不尽な授業をします。それについてこられるのはナチュラルな体育会系の子供達だけです(あなたは体育会系の子供だったのでしょうね)。
      さらに暴力をふるうのは大半が体育教師だという事は、子供の頃スポーツに打ち込んでいた人ほど知っている事でしょうね。

  21. あい より:

    体育以外の勉強してても将来役に立ってるとは思わないけどな。
    体育いらないって言うのもわかるけど、他にもいらないのいっぱいあると思うね。頭いい人より勉強出来ないやつの方が容量良くて仕事できるやつなんで山ほどいるし、勉強勉強ってまじめちゃん過ぎてもね。。

  22. 谷口 真友佳 より:

    こんばんは。ご無沙汰しております。谷口真友佳です。
    質問主様に提案です。このサイトの書き込みをコピーしたり、ご自分の身近な人に署名してもらったりして、国に提出されてはいかがでしょうか?
    少しは、話を聞いてくれるかもしれませんよ。

    あと、NHKの電波をジャックに近い状態で高校野球が放映しているという意見は一理あると思います。今なら、大相撲もそうです。正月なら、箱根駅伝や高校サッカーもそうです。
    あのような番組は、やたらと長いですし。
    ですので毎年、新聞のクロスワードパズルを解いて時間をつぶしています。

  23. 棄道者 より:

    体育はね、日本国憲法がいつ改定されて国軍ができても、昔ながらの徴兵制ができるように準備しておくためにやってるんですよ。日本人の最大特徴、下からの集団主義を維持するためにね。スポーツの為でも、子供の身体能力を伸ばす為でもないです。
    大切なのは集団主義です。日本が自由主義陣営にあろうが、社会主義国家になろうが、この体質は変らないでしょう。団体競技で失策した者や、カリキュラムをこなせない者を、労わらず、糾弾したり嘲弄したりするのは、戦前にもあった、非国民に対する制裁の練習でもあります。(子供たちが企業に入れば、リストラの稽古にもなります。)
    異分子を排除する心と体力育む、学校教育の中では、唯一、社会人生活に直結した実に実践型カリキュラムです。ヨーロッパは、日本に勝つのに連合する必要がありましたが、体育が在る限り、日本は大丈夫。ついでに、企業で役に立たない三流未満の屑学生に、体育教師という仕事があてられて、失業対策にもなってます。体育万歳。万万歳。でも、わたし個人に言わせれば、体育なんてこの世からきえてしまへ~~~~屎体育です

  24. 通りすがりの体育教師 より:

    現体育教師です。コメント欄を見てビックリしました。
    私はどちらかと言えばあった方が良いという考えです。
    学校では毎学期、生徒アンケートをとってますが、好きか嫌いかで言ったら体育が圧倒的に一番人気ですよ。逆に5教科の方が嫌いな生徒は多い。
    体力的なことでも「体育は重要ではないから」と週の授業数が減った事もありますが、現在は週3回に戻りました。
    嫌いだから、将来役に立たないから……は人それぞれだし、好きなこと、役に立つことだけが重要なら「学校を塾のような存在に変えよう」と言っているようなものだと思います。究極、「じゃあ学校っていらなくない」って話に。
    運動の楽しさを教えるのが体育の目標となってますが、「ルールを守ること、集団の中で自分の役割を果たすこと、他者と関わること…」なども体育の存在意義となっています。
    日本人はルールを守る。マナーが良い。っていうのは少なからず日本の学校の存在意義だと思います。

    でも、教える側も大変ですけどね。安全管理とか技能や興味関心の違う集団を一斉に指導するのは。スポーツクラブみたいにやりたい人が集まったら指導はしやすいですけどね。

    運動が得意な人、運動が不得意な人、どちらの気持ちを考えて授業を組み立てるかといったら多くは後者だと思います。前者優先だと体育嫌いが生まれます。

    でも「勉強はできないけど体育なら…」という子どもがいることをお忘れなく。そして、子どもの段階で「自分の将来」に必要、不必要を判断できる子どもも少数派というのが現実だと思います。

    好きなことで生きることは「楽しい」かもしれないけど「楽」なことではないと聞いたことがあり、日本の学校や教科の選択もきっとそうなんだと思います。

    • Hisanori Muramoto より:

      問題は子ども主体でやることを選べないことです。
      私は音楽の教員免許を持っており、専門は声楽ですが、実技教科は常に同じ問題を抱えてます。
      歌が苦手な子にとって音楽はいわば恥をさらす場です。体育も運動が苦手な子にとっては恥をかいたり、集団競技の負けの責任を取らされたり非難の対象となる。
      子どもに選択肢がありません。そこが問題です。そこまで考えて教師はサポートできてますか?私がみた体育教師はそんな人は皆無でした。

      私は常々、実技教科は学校の正規課程から全て外し、チケット制にし午後の課外活動で子どもが自由に選べるように変えるべきだと考えています。

      そして、スポーツ教室、音楽教室をより充実させて部活動の代わりにそこと連携をすればよいのです。

    • 佐々木篤史 より:

      体育は実際に体を動かしてやる教科なので運動音痴の生徒も運動が得意な生徒と同じ土俵で行うのですから運動音痴の子が嫌な思いをするのは目に見えています。なので体育も実技はやめてスポーツ科学の基礎や正しい筋トレの方法の座学にしてその知識を部活で活かせればいいと思うのですが。音楽も生徒の興味が出るようにいろいろなジャンルの音楽をバンバン鑑賞して音楽の素晴らしさを教えた方がいいと思います。

  25. 体育が苦痛 より:

    >イギリスは別として、ヨーロッパ大陸の学校では、体育の授業はない。そのために運動場や体育館もない。したがって学校としての敷地は狭いし、建物も学舎だけである。

    まさに日本の常識は世界の非常識ですね。
    ハリウッド映画を観るとアメリカの学校は体育の授業があるようです。しかし、アメリカはイギリス移民によって成立した国だから、その影響でしょう。
    日本の場合は、明治の学校教育がイギリス式、アメリカ式を導入したようですね。

    私は体育の授業廃止に賛成です。
    もし体育の授業を継続するのなら、根本的に方式を変えてほしいです。
    運動神経が悪い子供は別枠の授業にしてほしい。スポーツが苦手な子供には、その子たちを専門に指導する教師が絶対に必要です。

    現在の、ほとんどの体育教師は子供の頃から運動神経が良かった人でしょう。だから、彼らは無意識のうちに、運動神経が悪い子供への、いじめをやらかしてしまうのです。運動神経が悪い子供たちへの配慮は、まったくない人たちですから。

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