イギリス議会見学記

 日本人のあまり行かないイギリス国会議事堂の英語説明ツアー(有料、インターネットを通じて入場券購入)に参加してきました。今回のツアーでは、耳情報成果は20でした(私の拙いヒヤリング力ではほとんど分からず、といったところです)が、眼情報成果は50、文字情報成果は100でした。バッキンガム宮殿内部見学のように、日本語解説の流れるレシーバーを耳に当てながら回るのであればよいのですが、どういうわけか、英語、フランス語、ドイツ語などヨーロッパ語のみで、かつ議事堂が指定する専属ガイド(と思われる者)による肉声の解説だけです。そういうわけで日本人の見学者はその時間帯では私達だけでした。

 イギリス民主主義を象徴する建物と言えば、ビッグベンで有名な議会議事堂でしょう。この建物は別名ウェストミンスター宮殿と言うとおり、アングロ・サクソン時代から王室の宮殿があったところであり、中世の議会も王室の宮殿内の場所で開催されていたようです。その建物自体は3・4回火事とかで立て直されたようです。現在の建物も、第二次世界大戦のときドイツ空軍の爆撃によって、下院(衆議院、庶民院)の部分が完全に破壊され、戦後以前とそっくりに再建されたそうです。

 なんでもヒトラーは、議会を破壊すればイギリスの機能は完全に止まる、と目論んでいたようですが、とんでもない思い違いである、とイギリス政治の権威が語っている、のをどこかで眼にした覚えがあります。ともあれイギリスの議会には、中世以来のイギリスの民主主義の精神と歴史が詰まっているのは確かです。

 本会議場の簡素な造りから、議事堂は機能のみを追求した事務的な簡素なものかと思っていましたが、実はそうではなかったのです。別名ウエストミンスター宮殿と呼ばれるだけあって、各部屋は豪華そのものです。特に、王が(開会式のために)外部から入ってきて、貴族院に入るまでの部屋などは、宮殿そのものです。歴代の王の絵画とか、憲政史上の有名な事件をテーマとした絵画が、所狭しと掲げられていました(後者が掲げられるのは分かりますが、前者が掲げられるは疑問符あり、といったところですが、昔は王の宮殿ですから、それも仕方ないとも言えます)。それとは対比的には、本会議場だけが機能追求の簡素な造りになっていることが分かりました。

 その本会議場ですが、訪問した誰もが指摘するとおり、案外狭いのです。いや狭すぎると言った方がよいかもしれません。これは議員全員が入れる(座れる)ところが本会議場である、との我々の思い込みによるものですが(イギリスでは議員はテーマによって出席、非出席を決めてよく、全員の出席は予定されていないのです)、実際に効果的な議論をするとの観点からすれば、与野党向かい合って与党、野党ともに4列ぐらいの規模がいいのでしょう。マイクなしに話して相手に伝わるギリギリの広さ、ということなのです。

 党幹部は最前列(フロント・ベンチャー)、それ以外は二列目以降(バック・ベンチャー)という大まかなルールはありますが、議員の席は決まっていません。今日はここ、明日はあそこというように座ってもいいわけです。それに机がありません。メモを書いたり、資料を載せる机がないのです。投票ボタンもありません(投票とか採決は全員が議場裏に回って賛成、反対回収箱に投じる仕組みになっています)。まさに対話によって、物事を決めよう、という造りになっているのであります。

 ここで、世界の議会での座席配置方式を垣間見ておきましう。議会の座席配置の方式としては、イギリス方式とフランス方式があります。イギリス方式とは与党と野党が向き合う形となっていて、フランス方式は議長席を囲んで半円形になっています。世界的に広く普及しているのはフランス式であり、日本もそうであります。

 だが、どちらが議論としてよい結果を引き出せるかに関しては、イギリス方式に軍配を上げざるをえません。フランス方式では、お互い演説をするだけで、それによって相手の見解を変えさせることはほとんど不可能です。なぜなら、演説では声を張り上げて主張するだけに、自己の立場は決まっていて、大声を張り上げた手前、自己の案を引っ込めるわけにはいきません。つまり、第三の道を探ることができないのであります。

 イギリス方式だと、互いに喋るのはいわば対話の一種であり、第一の発言に対して、第二の発言(第一の発言の修正案)、第三の発言(第二の発言の修正案)が出てくる可能性があるのです。フランス式だと原稿読み上げになりますが、イギリス式だと原稿なしの対話、会話となって、そこから新たな案が生まれるのです。実際に歴史上もそういうことはよく生じました。それであるからこそ、イギリスは自己の方式が世界的に少数派になった今も、自己の方式を守り続けているのです。

 イギリス議会には、スウォード線(剣線)というのが、与党側と野党側のそれぞれの前に引いてあります。中世や近世の昔、剣を携帯して議論していたときに、お互い激高すると剣を掴みたくなります。剣を抜いて突き刺しても、相手に刺さらないうな位置に、お互いの席を配置した、ということです。時代は巡って、剣を携帯せずに着席するようになっても、そのままの間隔が維持されたのです。そのときから、武力で決着をつけるやり方から、議論によって決着をつけるやり方に、変わったのであります。ここに「議論と多数決による政治」つまり民主主義が誕生したのであります。

 このようにイギリス議会の議論方式は、議論の仕方としては、非常に理に適ったやり方なのです。ですから、こうしたイギリス議会のことを、我々はもっともっと知る必要があるのです。ですが、これについての研究はあまり一般的にはなっていません。福沢諭吉は最初にこのことを本格的に研究した人で、『英国議事院談』を著しています(1869年、『福沢諭吉全集』第2巻所収)。その後は、議会の議論観戦記としては、長谷川如是閑の『倫敦』(1912年、のち岩波文庫、1996年)と松浦嘉一の『英国を視る』(1940年、のち講談社学術文庫、1984年)くらいでしょうか。戦後は木下広居が多くのイギリス議会解説本を出しています(なお、木下は河合栄治郎の弟子であります)。

 今回のツアーは国会休会中の8、9月のみです。ですから普段見れない本会議場以外の部屋も見れるのですが、反対に本会議場で実際に討論している様を見ることはできません。それを果たすために、本会議で論戦が戦わされている時期に、もう一度ロンドンに行く必要があるのです(今回は休みが取れるのが8月しかなかったので、こういう結果になりました)。皆さんもこれを機にイギリス議会に興味を持ってください。(2006年8月初筆、2014年7月修正)

◎イギリス議会での歴史的な議論のやりとり、議会での議論のルール、などについては、拙著『弁論術の復興』で詳細に扱っています(第3章「近代イギリスの議論状況」)。

カテゴリー: エッセイ, 政治・経済論
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