『オーストリア滞在記』について

        

 メール討論している仲間が3カ月ほど前に、女優の中谷美紀氏による『オーストリア滞在記』(幻冬舎文庫、2021年)のことを報告していたのに刺激を受けて、私は図書館に予約を入れていましたが、ようやく借りることができました。

 (1)この本は滞在記となっていますが、正確には滞在日記です。この作品は(たぶん)2020年の5月1日から始まり、7月24日までの約3カ月間、1日も欠かさず、書き留めたもので、各日ごとにタイトルが着けてあります。例えば、5月1日「人生初のロックダウン」、5月2日「ガーデニング哲学」、5月3日「タンタンサラダ」のごとく。

 文章量としては、最も少ないのは10行1頁、最も多いのは14頁、最も多いのは4頁くらいではないでしょうか。中身としては、その日に起こったことを中心に述べていますから、まさに日記です。日本の日記と異なるところは、曜日と天候の記載がないことです。

 彼女の日課としては、午前は掃除や洗濯、午後は買い物やガーデニングなどであるらしいのですが、朝食は何にし、午前は何をし、昼食は何をし、夕食は何をするといった、記述スタイルを採りません。あくまでも、その日の内で何を思って、どのように過ごしたか、という訴えたいことをメイン・テーマとしています。具体的には、その日の行事というか、メイン・イベントというか、があれば、それ中心の叙述となります。その行事で多いのが、親族(夫と以前に別れた元のパートナーとその娘を含めて)とのつき合いや演奏会への出席などです。

 (2)オーストリア滞在となっていますが、正確にはザウツブルク近郊の山荘に居を構えています。夫はウィンフィルーのビオラ奏者なので、てっきりウィーン滞在かと思っていたのですが、パラパラと捲っていくと、そうではないことが分かります。しかし、ウィーンで演奏が多いだろうし、その度毎にゆうに200キロ以上離れている地へ通勤しているのだろうか、と心配になりましたが、どうもそういう記述はありません。そのときコロナ禍で、軒並み演奏会が中止になったりしたそうです。

 それでもザルツブルクでも小規模演奏会があったりして、それへの出席とか、夫が音楽家ということもあって、音楽関係の記述も多くなります。そういうことでは、クラシック音楽を趣味とする竹下君が読んだら、さぞや喜ぶことだろう、と思ったものでした。

 ここオーストリアでは、彼女の収入はなく、もっぱら夫君のウイン・フィルのメンバーであることの収入らしいのですが、コロナ禍で演奏会が減り、演奏できなくことを残念がっていましたが、それが収入減につながるのか、その辺の記述はなかったような気がします。収入源としては何かほかにもあるのでしょう。

 というのも、コロナ禍で演奏会が減ったにもかかわらず、何かアルバイトを探すとかしている気配は見えません。逆に、夫君はスポーツに行ったり、親戚に会いに行ったりで、稼ぐために何かするとか、毎日ビオラの練習をするとかもないようです。プロの演奏家というのはそういうものでしょうか。

 (3)この日記は初めから日本の読者を想定して書いているようです。そのために、日本にいては経験できないような、その地でないと分からないようなことを書いて、読者を繋ぎ止めねばなりません。そのために彼女が多用するのが、外食での現地ならではの料理メニューとか、デザートとか休憩時でのスイーツとかです。

 もう一つはドイツ語です。彼女自身は英語、フランス語はペラペラらしいのですが、ドイツ語は全くの素人だったらしく、生活の中で慣れるとともに、時間を見つけてはドイツ語の修得に取り組んでいます。そういうことで、ところどころでドイツ語の単語や文章が出てきます。

 そこで疑問が湧いてきます。夫君と出会ったのは東京のとあるレストランであったとのことですが、そのとき彼女はドイツ語ほとんどゼロだったはずですが、どうして意気投合できたのでしょうか。英語ですか、フランス語ですか、それとも身振り手振りだったのでしょうか。その辺はこの本では語られていません。

 (4)音楽、料理、ドイツ語の他には、ドイツでの習慣というか、社交というか、そういうものがその地を知らない者にとっては知りたいところです。敵対型文明の国では、基本的に国民どうしはツーカーで知り合える仲間という感覚はありません。それだからこそ、仲間と言える人たちを増やすために力を注いでいるのが社交であり、その中心が付き合いたい人たちを自宅に招くホームパーティーです。

 彼女の家でも頻繁に人を招いたり、逆に誰かの家に招かれたりしています。人を招く場合、メインディシッシュを何にし、デザートを何にするか、悩むことにもなるし、それが楽しみでもあります。もう一つのポイントは集まった人たちで、どういう話をするか、話題の問題です。料理は良いが話題的につまらなかったとなれば、その家に以降は行かないことになります。

 そこで人を招く場合、一家の主人はどこに力点を置くかが問題となります。これは国々によって異なるそうですが、一家の主人がキッチンに入って料理作成に専念し、奥方が話の中心になる場合もあります。それとは逆にキッチンに入る時間をなるべく少なくして、主人がゲストらの話の中心になるようにする場合もあります。

 彼女の家の場合、というよりオーストリアの場合は後者のようです。そしてひとかどの人物を呼んで、それらの人から良い話を聞き出したり、あるいはそれらの人に当方の良い話をして感心させたりしなくてはなりません。そのためには、日頃から教養を積んでおかねばなりません。彼女の場合は合格点のようで、随所でそれが確認できます。

 文章も全般的に、飽きさせずに読ませるものになっています。皆さんもこの本を読んでみてはいかがでしょうか。(2022年10月)

カテゴリー: 西洋史文化論

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